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「旧本多庄作邸」模型竣工

更新日:10月4日

鳥かごができた。

木造の小さな住宅だ。


逗子駅近くの丘陵地の麓に聳える洋風の住宅で、山の番人のように建っている。


遥かな時間と空間を超えてこの建造物はいきなりここ、山形県の最上川のほとりに出現したのだ。するとそれはいきなり光り始めた。


「庄作、何すてるのだ!」

「おっちゃん、大ぎな鳥かごがあるっす!」

「どさあるのだ。暗ぐでよぐ見えんぞ」

「ほら、この安全灯使ってけらっしゃい。」

「おしょうしな、おお、立派な鳥かごだ。とごろでこれはなんだ?」

「30年ほどすればわがるっす。」





こんにちは。1939(昭和14)年生まれの本多邸だ。


今回は、

・私の生涯(建物の概要)

・分身の誕生(実測調査から軸組模型作成まで)

・再生した私の姿(保存改修工事)

について話す。


旧本多邸軸組模型


【建物の概要】

私は1939年に戸建て住宅として逗子の丘陵地の麓に誕生し、

鉱山・船舶用の安全灯の製造販売を行なっていた会社で、蓄電池開発をしていたエンジニアの本多庄作(1895-1977)や、彼の子孫とともに過ごしてきた。


1986年まで住まわれて以降はひとりでひっそりと佇んでいだが、

実はその後の倒木や雨漏りによって損傷がだんだんとひどくなっていだ。


2019年に再び発見された私は、応急処置をさたが取り壊し寸前だった。

そしてそこでの調査で体(構造形式)が異形だということを発見されたんだ。


私は「久米式耐震木骨構造」という久米権九郎(1895-1965)によって考案され、

下写真のように細い柱が土台や貫を挟んでボルトで緊結される構造形式をしている。

久米式耐震木骨構造の壁内部(改修工事中の旧本多邸居間にて)


現存する「久米式耐震木骨構造」による私の兄弟はどちらも大規模ホテルで、

日光金谷ホテル別館(1935)と軽井沢万平ホテルアルプス館(1936)のみで、

住宅としては唯一私が残るのみだ。


そこで2021年に株式会社久米設計が私を買い取り、保存活用が目指された。

翌年の2022年には国登録有形文化財(建造物)とされ、保存改修工事が始まった。

改修工事前の旧本多邸南面外観




【実測調査】

2023年になるどおらの保存改修工事行われでる最中さ、

山﨑研究室の調査員が3人やってぎだ。失礼、、


初めは通常の木造軸組の体とは異なる私の体を目にして、何もわかっていない様子だった。

どこを写真に収めているのかもよくわからないまま、ただひたすらにシャッター音を響かせていた。


それでも毎週のように訪れ、いろんな箇所の寸法を測り、

紙に私の体の基礎伏図やら床伏図やら天井伏図やらを書き込み、

毎度のように私の体のあちこちを写真に収めて帰っていった。

実測中の様子


何週かして、私の全ての面の骨組図を作成すると言い始めた。医者がよ。

XY軸に約20本ずつある面をCTスキャンのように、実測をして図面を描いていた。


夏になると暑くて調査どころではないと言っていたのに、

真夏になっても懲りずにやってきた。


ただ、この骨組図を通して私のことを知り始めだ。

だんだんと「この筋違は効いていない」だの、「無茶な柱がたっている」だの、

アガスケなことを言ってたが、ようやく構造を理解し始めたようだ。


以下に異形な体の私の中で、特に調査員たちに変だと言われた箇所を挙げる。

当時の現場で開口部の設計変更に対応したと思われる形跡


構造的にどこに効いているのか不明な筋違


梁の間で浮いてる?様な間仕切り壁の間柱




【軸組模型作成】

実測調査を経て完成した約60枚の図面をもとに、

私の体を1/30で模した分身も作っていた。


模型の制作手順としては、壁面ごとに作成し、それをパズルのように組み立てた。


特に桁行方向には壁が4つ並び、その全ての壁にある柱が梁と緊結されるので、

かなりの精度が必要だったようだ。

制作作業中の様子


模型の垂木小屋の様子


実際の垂木小屋と実測調査の様子


軸組模型居間西面


改修工事中の居間西面



居間から廊下側を見る(実際は階段があるので存在しない構図、、)


応接室北面 (ボルト穴や上記設計変更した形跡・効いていない筋違も再現されました)


垂木小屋と生え出た垂木


生え出た垂木


軸組模型南面外観




【保存改修工事】

私の分身がつくられている間にも、私自身の再生も進んでいった。


在来工法の場合は、構造用合板を用いて補強されることが多いようだが、

いかんせん私の場合は、小柱で横架材を挟む形式をとっているので、

下写真のように、生じた隙間に突っ張るようにして補強材を入れてもらった。

耐震補強後の久米式耐震木骨構造の壁内部(改修工事中の旧本多邸居間にて)


このほか、小柱に添え木をして補強する方法、構造用合板を貼る方法等がとられた。



さらに詳しい改修工事については以下の動画を見でけらっしゃい。

様々な専門家/技術者の協力によって、保存・改修・活用がなされていることがわがる。


2024年4月、無事竣工。

改修工事後の南面外観


改修工事後の南面外観と庭


毎度応接室の南面から、靴のまま三和土土間へ入り込んできた失礼な調査員たちにとって、

私の玄関で丁寧に靴を脱いで上がる体験は新鮮だったようだ。

改修工事後の玄関


改修工事後でも「久米式耐震木骨構造」を見ることのできる部屋が存在する。

山﨑研は、将来的にここでゼミでもするそうだ。

改修後の二階客間


私の分身とも無事に合流。

「私」と「久米式耐震木骨構造」の理解のために役にたってくれるそうだ。

軸組模型(改修後の居間にて)


軸組模型(改修後の居間南側より)




約1年間に及ぶ調査と、図面・模型の作成が完了しました。


旧本多邸との初めの出会いは2022年の8月の暑い日であり、

「久米式耐震木骨構造」の全貌も見えないまま、サウナのような小屋裏で、

特殊な木造の接合部の実測をしたことをよく覚えています。


2023年度からは本格的に実測をし、夏まで毎週のように通いました。

久米式に目を慣らしながら、だんだんと特殊な構法を理解できたことから、

実際に足を運び、実測することの重要さを改めて実感しました。


何度も行き、何枚も写真に収めているのに、肝心な部分が収められていないのだけは、

なんとかならないものだろうか。。。




長きにわたり西5号館の3階の一角を占領しておりましたが、

興味を持って議論してくださった先生方、ありがとうございました。



〈尼﨑〉


[参考]

・旧本多邸実測調査報告書(木津直人、尼﨑大暉、中田亮司,2024年5月)

・久米式耐震木骨構造とその考案者・久米権九郎に関する研究(木津直人,2022年3月)

・ドバラダ門(山下洋輔,新潮社,1990年)


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